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「自然計算の基礎」

鈴木 泰博 著(近代科学社)

2023年2月12日

チラシ資料はこちら(PDF)

「なぜ、天文学には学生が集まるのだと思いますか?」

学会で一緒になった、ある高名な先生と札幌の寿司屋にいた。その頃は、世界的に情報科学を目指す学生の数がどんどん減っていた。

「さぁ…… なぜでしょうかね……」

高名な先生からの突然の質問に、すぐに答えが思いつかなかった。

「それはね…… ロマンだと思うのですよ。天文学にはロマンがあるから人が集まる。情報科学にもロマンが必要です。なにかロマンがありそうな、情報科学の研究課題を思いつきませんか?」

「ロマン?!…… がある研究課題ですか……」

途方に暮れた。それまで、そんなこと考えたこともなかったからだ。

アルゴリズム、計算量、(当時にはほぼ完成していた)人工知能の枠組みや理論、どれをとっても、宇宙の果てに思いをめぐらすような天文学のようなロマンには程遠い。

「どうお答えしたらいいのだろう……」考えあぐねていると、先生の目が悪戯っぽく光った。

 

「鈴木さん! 自然計算……なんてどうでしょう? いかにもロマンがありそうじゃないですか!」

 

その高名な先生は、普段は居住まいの正しい穏やかな紳士だ。

だが、このいかにも大学教授といった風態の紳士は、実は情報科学の黎明期の「巨人」の一人で、かつてはハッカーとしてその名を世界に轟かせていた。このセンセイは、たまに『怪しい・危険を底抜けに面白がる』ハッカー的なノリをチラリとみせるときがある。

この時もそんな『面白い悪戯を思いついたガキ』のような目をしていた。

その頃、DNAをつかった計算を、理論計算機科学のスター研究者がやってのけ、サイエンス誌に掲載され、どキモを抜かれた。当時の人気ニュース番組『ニュースステーション』では、久米宏がDNA計算機がはいった試験管を手にした映像が流れていた。

 

「自然計算の本があればいい。そうだ、あなたが本を書けばいいじゃないですか」

これが『自然計算の基礎』を執筆するにあたった顛末である。あの札幌の寿司屋のカウンターから、すべてははじまったわけである。

 

ほどなくして、出版社から『執筆依頼状』が届いた。

 

本など書いたこともない。だが、依頼状には『200ページ』相当とある。

『おもったより、大変かもしれないな…… 頑張って書こう』

そう思いながら、PCを立ち上げた。

だが…… 『書き出せない……』

一文字として書き出すことができないのだ。

ここまできて、やっと気がついた。

『自分は、自然計算とはナニカがわかっていない』

 

いまさら『実は書けません。ごめんなさい』をすることはしたくない。

といって私は、他人の論文や著書を読んで理解することが…… ひどく苦手だ。多くのセンセイ方のように、膨大な関係文献を読んで理解し、それを美しく再構成してまとめあげるようなことはできない。

 

いくらたっても、原稿は全く進まなかった。

「そんな時間をかけずに、さっさと出版してしまえばいいじゃないですか?」

まったく、その通りである。

できれば、私もそうしたい。でも、それができないのだ。

 

それから、五体投地と匍匐前進を繰り返すような日々が始まった。

数行書いて、数週間、長い時には数ヶ月の停滞。

『書かねば。1文字でも書かねば』

いつも、それがアタマから離れない。

『結構進んだな。これで何ページぐらいになっただろう?』

出版の版下用に整形してみるとたった数ページ。200ページなど、地球の終わりの日になっても届きそうもない。

 

ある時は、ハードディスクがぶち壊れ原稿をすべて失い。またある時は、真正面からの『本質的な指摘』に、それまで書いた原稿が木っ端微塵になり、さらには長年信じていたライプニッツの哲学により、致命的で不可避な窮地に追い込まれ…… 砂と砂利を噛む思いで原稿を捨て…… 

 

それから数十年後。

 

垢のように溜まった大量のボツ原稿、ボツ図案などを他のフォルダに移動させ、原稿フォルダをつくった。そして、出版社の指定する最終入稿用のフォルダにドラグして移動させた。

数秒後、「アップロード完了」の表示。

最後の瞬間は、あっけなかった。

 

数日後、久々に書店に立ち寄って、ぶらぶらと本を眺めて歩く。

『なにかネタになる本はないか……』

目を皿のようにして資料を探し歩く『執筆モード』のままになっている自分に気づく。

『本当にすべて終わったんだ。もう、こんなふうに資料やネタを探す必要はないんだ……』

そう思ったとき、開放感につつまれた。

きっと『出所』したときって、こんな感じがするのだろう。